2017-05-10 第193回国会 衆議院 外務委員会 第13号
○緒方委員 名前は出しませんけれども、結構このメールは当時大問題になりまして、少しだけ読み上げますと、だけど君が僕のメールを楽しみにしてくれると思うと時間を忘れて張り切ってしまう、これも恋の病の一環かな、ではまたね、いつ着いたか教えてね、そういうようなメールが省内LANで、ばんと、全員が見られるような状態で流されて、当時、川口大臣は激怒したわけでありますが。
○緒方委員 名前は出しませんけれども、結構このメールは当時大問題になりまして、少しだけ読み上げますと、だけど君が僕のメールを楽しみにしてくれると思うと時間を忘れて張り切ってしまう、これも恋の病の一環かな、ではまたね、いつ着いたか教えてね、そういうようなメールが省内LANで、ばんと、全員が見られるような状態で流されて、当時、川口大臣は激怒したわけでありますが。
当時の川口大臣の記者会見を読んでおりますと、当時、外務省は不祥事で非常に揺れていた時期でありますが、特にこの時期に外務省の信頼を失墜させるような行動を、しかも大幹部が行ったということについては、自分は極めて遺憾だと思っていると、当時の川口外務大臣は言っておられます。 そういう方をなぜ外務大臣は推薦をされたんでしょうか。外務大臣。
○吉良委員 確かに、中央アジアプラス日本という構想は、あれはたしか川口大臣のころだったですか、始まったというふうに思いますけれども、その動き。そして、インドとの非常に強い協力推進、こういうようなことは、まさに地政学的な上海協力機構に対抗し得るものだというふうに思っています。 以前、第一次安倍内閣、麻生太郎外務大臣のときにあった自由と繁栄の弧構想というのは、今どうなっているんでしょうか。
三木参考人が配付された資料の十二ページに、先ほど御説明がありましたけれども、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落にかかわって、「川口大臣とパウエル国務長官の電話会談」という何でもない文書が、極秘そして無期限指定されていることに実は驚きました。 けさ、私は外務省に質問をしたんです。
先ほど、川口大臣が、当時の大臣が、パウエル報告について、これを言わば信頼することが同盟国である一番の基本だと、こういうふうに答弁をしたと言いました。その前に、更に川口さんはこう言っているんですね。
○井上哲士君 その一番肝心の意思決定をしたときの状況というのを、まさに責任者である総理や当時の川口大臣にはインタビューをしていないと。これ、やるべきじゃないですかね。
私自身、十一年前に当時民間人閣僚として外務大臣に起用された川口大臣の下で大臣政務官を務めましたから、正直そう思っています。 しかし、その十一年前にも海外渡航をめぐって川口大臣と私は意見を異にしました。私は、外務大臣政務官として台湾訪問を希望し、大臣は中国が怒るからと判断されたのでしょう、それを却下しました。そのとき、川口大臣はこうおっしゃいました。
当時は同じ同僚として川口大臣に予算委員会で質問を野党の立場でさせていただいたことがありますし、時代の流れを感じながら、私自身はもうよっぽど野党の体質だなと。もう野党ばっかりずっと回っておりまして、もうこの体質は恐らく一生抜けないんだろうなと思いながら、今日はちょっと大臣と副大臣に少し辛口なこともありますが、お許しをいただきたいと思います。 そこで、まず少し辛口を申し上げたいと思います。
川口大臣以来、日本の外務大臣が行っていないということでございまして、確かに核軍縮の話というのは、日本がまさに主導しなきゃいけない分野なんだと思います。ですから、例えば国会のお許しをいただければNPDIはもちろん行きたいと思っているんですけれども、今のはCDの話で、山根副大臣に行っていただいたんですね。私もできる限りそういった会合に国会のお許しをいただければ行きたいというふうに思っています。
そこに日本の外務大臣が政策演説をするために行ったのは川口大臣が最後であったと私思います。 玄葉大臣はジュネーブ軍縮会議に外務大臣として赴き、政策演説をする予定はありますか。是非そのようにやっていただきたいという要望を併せて伺います。 また、総理はワシントンにおいでにならなければなりませんよね。
かつて川口大臣がおっしゃっておりました環の国を目指すということを今まさしく具現化したいと、このように考えているところでございます。 しかし、その中で一点だけ考えなくてはいけない点があります。
そのとき大臣でいらっしゃったのが、外務大臣でいらっしゃったのが今日いらっしゃる川口理事でございますから、川口大臣には大変いろいろ御迷惑を掛けたような思いもございますけれども。
基本的にオバマ政権も、最近のアフガニスタン政策というのは従来の力だけでは駄目だと、そういう民生支援、それも大事である、車の両輪でしっかりやらないと本当の意味でのテロ対策にならない、これが今大きな世界の流れであって、恐らく川口大臣が大臣のころとは様変わりになっているということであります。
皆さん、実は、このオランアスリの同意書、川口大臣時代に、これはどこにあるんだといって私がお聞きしましたら、JBICは、これはマレーシア政府が持っていると言いました。本当にそうだと私は思いまして、現地で私が問いました。どうしてその同意書を開示されないんだと言ったら、向こうのラハマン経済企画院副長官は、それはJBICに渡してあると言いました。
○前田委員 今の答弁は、川口大臣時代と何も変わっていませんよ。この委員会、我々のこの決算委員会の出した調査報告書をしっかり読んでいらっしゃいますか、外務省当局は。納税者に対して説明責任をきちんと果たす、そのレベルをきちんと上げてくださいよ。何にも変わっていない。四年間、何にもしていないんですか、あなたたちは。もう一度答弁してください、これからどうやって説明責任を果たすのか。
そういう形で、それはたまたま、川口大臣が経産省出身で、経産省に古田さんといういい人がいるからという、個人の力量で連れてきた部分も相当あったのだろうと思いますが、それをある意味ではもうちょっとシステマチックに、例えば、この省のこのポストにこういう人を今自分は置きたいんだが、なかなか今、我が省にはそれに適材がいないと大臣が判断をすることもあると思います。
高級事務レベルの会合であったにもかかわらず、閣僚クラスの参加者が大変いらっしゃいまして、カルザイ・アフガニスタン当時の移行政権大統領、それからブラヒミ・アフガニスタン問題国連事務総長特別代表、それから日本からは川口大臣等が参加をいたしております。 それから、DIAGの会議も……
昭和、恐らく川口大臣と私の間ぐらいが一番難しかったと思いますが、その後どんどん易しくなりまして、今の試験問題というのはとても易しいけれども成績は余り良くないというような実態でございます。 他方、イギリスやフランスでは非常に難しい問題が出るわけなんですが、その難しいという意味は正解がないということなんですね、一つの正解がないと。
さて、これはもちろん大変難しい課題でございますが、そもそも、これは川口大臣時代から大変、始まったものでございますが、政府が本当に一体で全力を挙げて取り組んでいるかという疑問がそもそもあるわけでございます。 それは、例えば財政負担の問題がございます。それから、PKOの問題がございます。PKOは現在三十数名、主要国の最低、世界の八十番ぐらいであります。
○緒方靖夫君 米英の判断が間違った、それは情報の誤りだった、そしてその情報について、日本政府は主にアメリカからそれを受けてきて、そして、川口大臣も述べたように、やはりそれに対して同盟国だからとして信頼を寄せて、そしてそれを私の表現で言えばうのみにしたんですよ。ですから、そういう状況の下で行われた態度表明、政策選択、それについて、やはり情報について、私、問題にしたのは情報ですよ、今。
○国務大臣(塩崎恭久君) ちょっと手元にないんで分かりませんが、川口大臣がどう言ったかという問題ですけれども、アメリカが結果として開戦をした、これを支持する根拠にパウエル報告を使ったということは私はないと思うんですね。
○緒方靖夫君 これだけのことが出されていて、しかも、パウエル報告についてパウエル自身が誤ったと、人生最大の恥辱だと言ってこの情報を取り消している中で、どの部分を取ったか分からないといっても、川口大臣の当時の発言では、ほとんどパウエル情報に依拠して政策判断したと述べているわけですよ。その経過があるのに、それを偽っている。それ自身おかしいんですよ。
当時、外務省は、これは麻生大臣ではなかったですが、川口大臣でしたが、いわゆる国連決議の有権解釈についても、武力行使が行われるまでは、判断する、それを発表する立場にないというようなことを言っていた。
大切な議論を大田先生と川口大臣のときにされているんですが、非常に基準があいまいというか明確でないというか、という気がいたしました。
若林大臣からさかのぼることちょうど四代前の川口大臣のころであります。大臣がなられて、この改正案というわけでありますから、それまでの四人の大臣が、平成十三年に改正案が通過をしてから四代かわってきたわけなんですけれども、一向にこの大気汚染の状況が進んでいない。しかも、交通量の抑制を図れというふうに参議院でも御決議をいただいている。
それから、代替食料の話というか代替栽培物の話については、たしか二〇〇二年だったかな、ここでたしか川口大臣に言われた話で、たしか中国の薬の話をされて、ああいったいわゆる高価なものになり得る、私は見ても分かりませんけど、高価な薬に化け得る、化け得るじゃ正しくないな、こうした薬になり得る薬草とか、そういったようなものの栽培というものに切り替えたら付加価値が上がるんじゃないかという御指摘があったと伺っておりますんで
そして、官邸に上げないのは、当時の北島官房長と薮中アジア局長で決めたというんですけれども、事務次官や川口大臣には報告したということも質問主意書には答弁で帰ってきていますよ。当時、仕事の重圧で、向こうと書類のやりとりをしたという報道も読売新聞にありますけれども、こういったことについて、その事実関係をちょっと明らかにしてほしいと思います。